才能は変態に宿る

才能ってのは変態的なまでに何かにこだわる人にのみ与えられるものだと思う。

絵で例えてみよう。

手が上手に描ける人と手を愛しすぎて何枚も何枚も手の絵を描いている人がいる。

手が上手に描ける人っていうのは、あくまで手が上手に描けるというだけだ。観客を感心させることはできるだろう。「上手だ」なんて褒められるだろう。

けれども、手を愛しすぎてしまう人が描く手は、その手への愛がこもっている。恐ろしいまでに。こちらまでその手を愛してしまうまでに。人が感情をこめて描いた絵というのは、少なからず同じような感情を観客にも与える。

 

変態的なまでに何かにこだわる人は、そのこだわった物に対して命を吹き込む。なぜって愛しているからだ。盲目的な愛よりも強いものなど、この世にはない。だから人は魅了される。そして、時にその強すぎる愛を嫌悪する。

私はそんな変態的な人間になりたかった。けれどなれなかった。

絵は中途半端に終わってしまった。結局、私には絵に対する情熱なんてまるでなかったということだ。美大に入るなんて選択肢すら思い浮かばなかった時点でお察し、というところだろう。

小説は、どうなのだろう。自分が小説の何に対してこだわっているのか、まるでわからない。けれどまだ書き続けている。自分が面白いと思った小説を人にも読んで貰いたくて書いている。